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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)3323号 判決

原告

山本美也子

山本勝美

右訴訟代理人弁護士

佐々木国男

中川寛道

被告

学校法人日本大学

右代表者理事

柴田勝治

右訴訟代理人弁護士

平沼高明

関沢潤

堀井敬一

野邊寛太郎

主文

一  被告は、原告山本美也子に対し、金四三〇万五七四九円及びうち金三七五万五七四九円に対する昭和五六年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告山本勝美に対し、金四四万二四一三円及びこれに対する昭和五六年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  原告両名に生じた訴訟費用をそれぞれ五分し、各その一を被告の負担とし、その余の費用は各支出者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山本美也子(以下「原告美也子」という。)に対し、金四六八〇万七四三三円及びうち金四一八〇万七四三三円に対する、同山本勝美(以下「原告勝美」という。)に対し、金一一四〇万円及びこれに対する、それぞれ昭和五六年四月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告両名の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告両名の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告勝美は、昭和六年三月三日生まれで、昭和四〇年から和光電設の名称で電気工事業を営んでいる。

(二)  原告美也子は、昭和一一年生まれで、主婦として、夫の原告勝美の仕事を補助していた。

2  被告は、学校法人であり、医学部の附属機関として総合病院を経営している。

3  原告美也子は、昭和四五年三月二五日ころ、被告医学部板橋病院(以下「被告病院」という。)産婦人科に出産のため入院し、同年四月六日、主治医大屋敦医師のほか柳沢、野村、阿部各医師の担当のもとに、帝王切開術(以下「第二手術」という。)により二男貴志を出産した。

4  右第二手術の終了にあたり、右医師らには、腹腔内に縫合針その他の残置物が無いことを厳重に確認し、これを残置してはならない業務上の注意義務があるのに、右医師らはこれを怠り、縫合針(以下「本件伏針」という。)一本を原告美也子の腹部内に放置したまま縫合した(以下「本件事故」という。)。

5  そのため、原告美也子は、後記6のような事情から、本件針の摘出手術を受けることとなり、昭和五五年七月三一日、被告病院産婦人科医長高木繁夫医師担当のもとに開腹手術(以下「第三手術」という。)を受け、子宮の大部分を切除することを余儀なくされた。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1(一)の事実は、〈証拠〉によつて、これを認めることができる。

また、同1(二)の事実のうち、原告美也子の生年については当事者間に争いがなく、その余の事実については、〈証拠〉によつて、これを認めることができる。

二同2の事実は、当事者間に争いがない。

三次に、請求原因3ないし6の事実(被告病院医師らによる不法行為)について判断する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告美也子は、昭和三四年三月八日、北海道立鬼脇病院において、自然分娩により長女を出産した。

(二)  原告美也子は、昭和三九年一〇月二日、中井産婦人科医院(以下「中井医院」という。)において、帝王切開の方法(以下「第一手術」という。)により長男を出産した。

(三)  原告美也子は、昭和四五年三月六日、妊娠中、胎児の体位の異常、羊水過多症等により被告病院産婦人科に入院。同月七日に同病院を退院。同年四月三日に出産のため、同病院産婦人科に再入院。同月六日、同病院柳沢、野村、阿部各医師担当のもとに第二手術により次男貴志を出産した(この事実は当事者間に争いがない。)。同月二〇日、同病院を退院。

(四)  原告美也子は、第二手術後、二、三か月経過したころから、腹部にひきつるような痛みを感じることがあり、原告勝美との夫婦生活に苦痛を感じたり、日常生活に支障を生じることがあつた。このような状態があつたため、原告美也子は近所の東出内科病院、渡辺内科医院で診察を受けたが、改善されなかつた。

(五)  原告美也子は、昭和五五年二月九日、原告勝美とともに自動車に乗車して走行中、落とし物を拾おうとして「く」の字形に前かがみになつたところ、腹部に激痛を感じ、痛みがおさまらないため、最寄りの所沢市立医療センターにおいて診察を受けた。このときは、診察を待つうちに痛みは消失したが、同年五月一三日ころ、再び腹部に激痛を感じたため、東京都東村山市所在の緑風荘病院において診察を受け、レントゲン写真撮影をしたところ、手術用の縫合針(本件伏針)が子宮内に残置されていることが判明した。

(六)  そこで、原告両名は、本件伏針は、第二手術時に被告病院医師らが誤つて原告美也子の体内に残したものであると判断し、同月三〇日、被告病院を訪れ、従来の経緯及び緑風荘病院での診断結果を説明して、高木繁夫教授の診断を受け、同年六月二三日には、右高木教授及び津端捷夫助教授の診察を受けた結果、被告病院において本件伏針の摘出の手術を行うこととなつた。

(七)  原告美也子は、同年七月二一日、本件伏針摘出手術を受けるため被告病院に入院した。同月三一日、同病院では、高木、津端、塚原各医師の担当のもとに第三手術を実施して、本件伏針の摘出を試みたが、針が酸化してボロボロの状態であつたため、針のみを取り出すことができず、原告勝美の承諾を受けて、子宮体の約三分の二を伏針ごと摘出して、手術を終了した。

本件針は、全長三ないし四センチメートルと推定される円弧状の縫合針であつて、原告美也子の子宮体部前壁右下方に筋層に深くくい込んで存在し、その末端部が子宮体部の表面に頭を出しており、針の錆のため当該部位の筋層表面の一部に黒褐色の斑点が視認できる状態であつたが、右の点を除けば肉眼上本件伏針の所在部位周辺の子宮体に格別の器質的変化は認められず、子宮体切除後の病理学的検査によつて、同部位に古い炎症のあとが認められたものの、そのほかには組織上の変化の所見は得られなかつた。

以上の事実が認められる。

2  被告は、第二手術は子宮の左側部を切開したものであつて、その当時子宮の右側部には原告美也子が長男を出産した際に受けた帝王切開術の跡が瘢痕化して存在したので、子宮の右側部に存在した本件伏針は第二手術によつて生じたものではなく、その前の中井医院における第一手術時に生じたものであると主張して争うので、この点について判断する。

(一)  原告らは、昭和四五年四月の被告病院における第二手術前には本件伏針が存在しなかつたことを証明する証拠として、妊婦の下腹部を撮影したレントゲン写真の陽画(甲第一号証の二)を提出するところ、その画面上には、やや不鮮明ながら、妊婦の腰椎・骨盤・大腿骨の一部のほか、成長した胎児の骨格を認めることができるのであるが、その画面上には本件伏針に似た異物の影は認められない。

したがつて、右写真が第二手術の前に原告美也子の下腹部を撮影したものであるとすれば、本件伏針は右写真の撮影時以後に生じたもの、すなわち被告病院における第二手術の際に生じたものと認定できることになる。

そこで、右写真の被写体、撮影の日時及び場所について検討するに、証人高木繁夫の証言及び原告美也子本人尋問の結果によれば、原告らは昭和五六年六月二日被告病院において産婦人科高木教授に右写真を示した際、これを昭和四五年二月ころ交通局病院において撮影したもので、原告勝美が以前交通局病院に勤務したことがあるため、レントゲン技師である友人から貰い受けていたものと述べたが、高木教授において自分も交通局病院に勤務したことがあると述べたところ、その後は、同じころ富田病院において撮影したものと述べるようになつた事実が認められる。

そして、原告両名は、各原告本人の尋問において、原告美也子は当時被告病院産婦人科で受診していたが、同病院が遠いため、緊急出産の事態に備えて、あらかじめ被告病院以外の産婦人科医院でも診察を受けておく方が便宜と考え、富田病院で受診し、右レントゲン写真の撮影を受け、そのころ同病院から右陽画を貰い受けて所持していたと供述する。

しかしながら、原告本人両名各尋問の結果中の右部分は、次の理由でたやすく信用し難い。

すなわち、〈証拠〉によれば、原告美也子は、昭和四四年九月八日被告病院産婦人科における初診で妊娠の疑いとされ、以後妊娠の確定診断を受けて、同病院で出産する予定のもとに継続的に同科で経過観察を受け、翌四五年三月に出産のため同病院に入院するに至つたこと及び被告病院の診療録によれば昭和四五年二月二三日に「必要なら次回レントゲン写真撮影」との記載があり、事実その後同年三月七日、一二日、四月三日、五日にそれぞれ胎児のレントゲン写真撮影を受けたことが認められ、また、〈証拠〉によれば当時の同原告の住居は東京都練馬区春日町三丁目三一番一二号であることが認められるから、出産時被告病院を利用することに困難が予想されたとは言い難く、もし緊急出産の事態に備えて他医とも関係を保つておくという目的によるのであれば、富田病院においても継続的に妊娠経過の観察を受けておくのでなければ意味がないと思われるのに、同原告が昭和四五年二月以後富田病院で診察を受けた事実を認むべき証拠はない。

更に疑問となるのは、前記レントゲン写真の入手先の病院に関する主張の変遷である。

継続的に妊娠経過の観察を受けている被告病院のほかにわざわざ他院で重複受診するとすれば、原告らには特別な動機が存在したはずであり、それゆえ受診した病院について記憶を誤まるとは考え難いし、しかも原告勝美本人尋問の結果によれば、同原告はもとレントゲン技師で、その友人が交通局病院に勤務していたというのであるから、そのように因縁のある交通局病院と富田病院とを混同することも考え難い。

以上の理由で、甲第一号証の二の写真の撮影日時及び場所に関する原告本人両名各尋問の結果は信用することができず、かつ右写真が第二手術前の原告美也子の下腹部を撮影したものであるかについても疑いがもたれるのであつて、結局前記原告本人両名各尋問の結果によつては甲第一号証の二が原告ら主張のような写真であることを認めるに足りず、右甲第一号証の二は第二手術前に本件伏針が存在しなかつたことを証明する証拠としては用い得ないものといわなければならない。

(二)  しかしながら、原告本人両名各尋問の結果によれば、中井医院における第一手術による出産ののち、被告病院における第二手術による出産までの間、原告美也子においてさきに判示したような下腹部の激痛が存在したり、そのために日常生活上支障が存在し医師の診察を受けたりしたことはないことが認められるし、右第一手術後に原告美也子が二男を第二手術により無事出産していることは前叙のとおりであり、〈証拠〉によれば右二男出産のとき嬰児は体重四三四〇グラムの巨大児であつたことが認められる。

また、〈証拠〉によれば、昭和五五年六月二日、原告両名が被告病院において高木教授に面会し、本件伏針が被告病院における第二手術によるものとの疑いを呈示したのち、原告両名との交渉はもつぱら被告病院の職員である阿部課長がこれに当たることになつたが、同課長は、同年六月六日原告両名宅において、また同月一六日第一ホテルにおいて、いずれも原告両名に対し本件伏針について被告の責任を認める趣旨の発言をし、同年七月四日には被告病院において原告両名に対し本件伏針を原因とする損害賠償に関する話合いを行つたこと、原告美也子は、被告病院において本件伏針除去の手術を受けることを決意し、同年七月二一日被告病院七階の特別病室に入院し、一切の費用の支払免除を受けて第三手術を受けたこと、また、被告病院では、右入院中、経験を積んだ藤井病棟医長を主担当医とし、第三手術は津端助教授自ら執刀してこれを行い、産婦人科教室の名で見舞品を贈るなど手厚い待遇をしたことが認められる。

また、〈証拠〉によれば、被告病院では、前記のとおり、第二手術前の昭和四五年三月七日から同年四月五日までの間に合計四回原告美也子の胎児の各レントゲン写真を撮影したけれども、本件伏針を発見してはいないことが認められる。

これらの事実を総合すれば、本件伏針は被告病院における第二手術の際に生じたものと推認するのが相当である。

(三)  これに対し、第二手術前に伏針が存在したこと、すなわち被告医師による不法行為の不存在を直接立証すべき証拠として、次のようなものがある。

すなわち、〈証拠〉によれば、原告美也子が昭和四四年九月に被告病院産婦人科外来に受診した当時の診療録には、同年九月八日付の柳沢外来医長による初診時の所見の記載に続いて、翌九月九日付で安孫子医師による「春日町辻医院よりTELあり。腹部レントゲンにて、異物(原文は独語。以下、この意味で単に「独語」という。)と思われる円形の影(独語)があり、注腸造影にて圧排像がみられた。前回帝切(独語)時の技術的誤り(独語)なのかあるいは膿瘍(独語)のようなものなのかは不明であるが、このまま妊娠を続行することは、むづかしいのではないかと考えるので、よろしく御配慮願いたいとのことです。尚、本人には秘密(独語)とのこと」との記載があり、更に、翌九月一〇日付の柳沢外来医長による「辻医院(内科)から9/Ⅸ4時頃TELが患者宅へあり、すぐOPをしてもらいなさいといわれたという。」との記載が存在することが認められる。

しかして、原告美也子本人尋問の結果によれば、原告美也子は、昭和四四年九月八日、嘔吐感を訴えて辻内科医院で受診した際、バリュウムを用いて腹部のレントゲン写真撮影を受けたところ、辻医師から、腫瘍があるので切除手術を受けた方がいいといわれ、右の如く被告病院で受診した事実が認められるので、前記診療録における辻医師からの電話の記載に照応する辻医院での受診及び腹部レントゲン検査の事実が存在することが裏づけられる。

ところで、右診療録の九月九日付の記載によれば、辻医師からの電話の内容は、原告美也子の腹部に第一回手術の際の残置物又は膿瘍の存在を疑う趣旨のものということになるのであるから、右受電後の被告病院の医師は、原告美也子に対して、右通告内容に照らし同原告の腹部に手術時の残置物又は膿瘍があるか否かについて慎重に診察を行つて然るべきであるのに、右診療録によつてその後の被告病院における診察結果をみても、この点について特別の注意が払われた形跡は認めることができず、右初診後同年中に下腹部のレントゲン写真の撮影が行われた形跡も見当たらない。更に、右診療録中昭和四四年九月八日の初診に始まる一連の診療経過の記載は、いずれも年月日が数字のゴム印で押捺されているのに、右九月九日付我孫子医師の受電の記載及び翌一〇日付柳沢外来医長の診察の記載のみは日付が手書きされている点に、その余の記載と異なる点があり、これらをあわせ考えると、右受電に関する記載が真実昭和四四年九月九日ころになされたかについては、疑う余地がある。

右の次第で、右記載等に基づき、本件伏針が第二手術前に存在したと認定することはできないし、右各証拠によつては前記(二)の推認を覆えすには足りないといわなければならない。

(四)  また、前記(二)の推認を妨げるべき事情として、本件伏鉢の所在部位と第一手術及び第二手術における各切開部位の関連性の問題がある。

すなわち、〈証拠〉によれば、第二手術の帝王切開当時、原告美也子の子宮の右側には第一手術の切開部の痕跡かとみられる瘢痕状の部分があり、その部分は固かつたので、第二手術においては子宮の左側を切開して胎児を娩出させた事実が認められるところ、本件伏針が子宮体部の右側に存在したことはさきに判示したところであるし、前述の本件伏針が子宮の筋層に深くくいこんで存在した事実に鑑みると、残置後本件伏針の所在位置が移動した可能性は乏しいと判断されるので、これらの事実によれば、本件伏針は第二手術時に生じたのではないのではないかとの疑いももたれるところである。

しかしながら、このように縫合針を患者の体内に残置すること自体異常な事態であるから、残置部位が縫合部位と完全には一致しないことは、第二手術と伏針の関連性を否定する根拠としては必ずしも十分とはいえない。

3 右のとおり、本件伏針は被告における昭和四五年四月六日の第二手術の際に残置されたものと推認できるのであるが、開腹手術にあたる医師は患者の体内に手術に使用する器具を残置することのないよう注意を尽くすべき義務を負うものであるから、本件伏針は右第二手術を担当した被告病院の医師の注意義務懈怠によつて生じたものと推認するのが相当であり、右医師の使用者である被告は、第二手術時の右注意義務違背の行為によつて原告らに生じた損害について使用者としての損害賠償義務を負うものということができる。

四そこで、原告両名に生じた損害とこれに対する損害賠償額について判断する。

1  原告美也子の損害

(一)  原告美也子は、第二手術以後、同原告は下腹部に鈍痛を感じ、あるいはめまい、吐き気を覚えることがあり、一〇年間苦痛に苛なまれたと主張するところ、原告美也子本人尋問の結果中には、第二手術以後、身体を曲げた拍子に下腹部がひきつつたり、性器から出血することがあつた、昭和四七年夏には気分が悪くなり、同年一二月二四日には腰と下腹部に痛みがあつて起き上がることができず、その後約一か月半位の間家事労働ができなかつた、これらのため原告勝美との間の夫婦生活が遠のき、夫婦の間柄が円滑を欠いたとの部分があり、また原告勝美本人尋問の結果中にも、第二手術以後原告美也子は身体がだるかつたり仕事ができなかつたりすることがあつた、原告美也子との間の夫婦生活は第二手術以後絶えず満足なものではなかつたとの部分が存在する。

そして、前記三―(四)の事実が存在することは、さきに認定したところである。

しかしながら、〈証拠〉によれば、子宮は、知覚神経の分布のない臓器であつて、陣痛時のように収縮するとき以外には特に痛みを感じないものであり、第三手術時の開腹の結果では本件伏針が筋肉に対する刺戟の原因になつていたとの所見は得られず、炎症の現存もなかつた事実が認められるうえ、〈証拠〉によれば、原告美也子は、昭和四五年ころ以来体重が八〇キログラム近くもあり、糖尿病の持病があつたこと(第三手術のため入院中に五〇グラム糖負荷試験における血糖値は、負荷前一三九、負荷後三〇分値二二六、六〇分値三〇七、九〇分値二五二、一二〇分値一九〇、一八〇分値一三一各ミリグラムパーデシリットル、九月に被告病院第三内科では起床時一五九、朝食後二時間値一八二各ミリグラムパーデシリットルの数値がある。)、開腹手術をすると、体内で癒着を生じ、痛みの原因となりうること、原告美也子についても、前二度の帝王切開のほか、第二手術の際に卵管結紮の不妊手術も受けており、第三手術時腹腔内は、両側卵巣卵管は一塊となつて子宮後面に癒着、大網は子宮体部前面、子宮底部及び腹壁に癒着するなど強度の癒着が存在したことが認められるから、これらの事実に照らすと、前記四―(四)の事実も本件伏針が原因であるとは認め難いし、原告本人両名の供述する前記各事実も、それが仮に認められたとしても、それらが本件伏針による結果であると認めるには足りないものといわなければならない。

(二)  第三手術後の高熱については、〈証拠〉によれば、第三手術後、原告美也子は八月八日から発熱し、その体温が八月一三日には三九度、同月一四日には四〇度を超え、高熱で推移したのち、同月二四日には平熱に戻つたが、九月三日には三九度、同月五日、六日には四〇度となつたのち、下熱し、同月二四日に退院できたこと、当初の発熱の原因は不明であるが、右発熱中には薬剤性肝障害及び薬疹が診断されたことが認められ、本件第三手術及びその後の医療処置との因果関係を認めることができる。

(三)  第三手術後の後遺症について判断するに、〈証拠〉によれば、原告美也子の入院中、第三手術後の発熱を下げるための注射が同原告の右肩に多数回なされたこと、退院時右手第四指及び第五指にしびれが存在したこと、退院後右肩が腫れてしこりがあつたため、原告美也子は昭和五五年一一月一八日被告病院整形外科で受診した結果、右肩関節三角筋部に二個の固い腫瘤が存在し、圧痛と腫張の所見があつた事実が認められ、これらは第三手術後の被告病院における医療処置によるものということができるが、原告美也子本人尋問の結果中右肩の激痛が約半年続き、安静にしていたところ、右手が上がらなくなつたとの部分は、にわかに採用できない。

(四)  原告美也子は、同原告が本件子宮摘除により家事労働及び原告勝美の仕事の補助を含めて今後軽易な作業にすらつけない体調に陥つたこと及びこれによる労働能力喪失率は一〇〇分の七九に相当することを主張するけれども、その事実を認めるに足りる証拠はない。

2  原告美也子の損害賠償額

以上の認定事実と判断に基づいて原告美也子が求めうべき損害賠償額について判断するに、まず、逸失利益については、原告美也子が家事労働及び原告勝美の電気工事業の補佐に従事できなかつたことに基づく損害としては、昭和五五年四月二九日以前の通院二日分、同年五月三〇日以後七月二〇日までの間の通院又は被害の回復に関する話合いなどに要した六日分、同年七月二一日の入院から同年九月二四日までの六六日分のほか、原告美也子が被告病院の高木教授から同年一二月末までは安静にするようにとの指示を受けた事実は当事者間に争いがないので、同年九月二五日から同年一二月三一日までの九八日分の合計入院六六日、通院及び安静期間一〇六日分について認めることができるが、この間の原告美也子の具体的な逸失利益額を認定できる証拠はないので、四四歳の主婦の家事労働の評価基準を昭和五五年度女子全産業全企業規模全学歴計の平均賃金額によつて算出すると、一八三万七二〇〇円×一七二(日)÷三六五(日)=八六万五七四九円となる。その余の休業損害については、前叙のとおり、子宮摘除に伴う労働能力喪失の点をも含めて、これを認めることができない。

次に、精神的損害については、右入通院期間及び休業期間についての慰藉料額は八〇万円とするのが相当であり、子宮の約三分の二を摘除したことに対するものとしては、原告美也子本人尋問の結果によつてもこれにより夫婦生活上格別支障は生じていないと認められること及び原告美也子が出産を終了した女性であることを考慮すれば後遺傷害別等級表の第一二級に準じて二〇九万円とするのが相当である。

そして、本件事案の性質、訴訟追行の難易、請求認容割合その他本件の審理に表われた一切の事情を考慮すると、以上の合計三七五万五七四九円について相当因果関係にたつ弁護士費用は五五万円とするのが相当である。

そうすると、原告美也子についての請求認容額は、四三〇万五七四九円となる。

3  原告勝美の損害及び損害賠償額

原告勝美が請求原因7(二)で主張する逸失利益について判断するに、原告本人両名各尋問の結果によれば、原告勝美は、昭和五五年二月九日以降、原告美也子の医師への受診及び被告板橋病院の医師や阿部課長との折衝の機会には常に原告美也子と行動を共にしていた事実が認められ、本件事案が医師の手術に伴う事故として特別な性質のものであることに鑑みると、原告勝美の付添同行はやむを得ないものであつたということができるから、第三手術のための入院前に原告美也子について認めた八日分の休業損害は、原告勝美についても相当因果関係にたつ損害として認めることができる。

次に、原告美也子の入院期間中に原告勝美の付添いによつて生じたとされる休業損害については、原告勝美本人尋問の結果によれば、原告勝美は、第三手術の当日原告美也子に付き添つたほか、手術後八日目位からは原告美也子の発熱により連日原告美也子に付き添いあるいは見舞うなどして、就業しなかつた事実が認められるところ、〈証拠〉によれば、被告板橋病院は完全看護制の病院であつたことが認められるから、本来入院患者に対する家族の付添いを要しなかつたものであるが、開腹しての子宮摘除術ともなれば手術当日及びその後何日間かの家族の付添いは不可欠のものというべく、本件の場合、さきに認定したとおり、八月八日から発熱があり、九月六日まで途中小康をまじえながら高熱の日が多かつたのであつて、このような病態では完全看護制の病院においても家族が付き添うのは当然であり、〈証拠〉によれば高木教授も被告勝美の付添いを許したことが認められるから、手術当日の七月三一日から九月六日までの三八日間について原告勝美が就業できなかつたことによる逸失利益の発生を認めるのが相当であるところ、その損害額につき原告勝美は電気設備工事の請負受注見送りによる逸失利益を主張し、右受注見送り工事の見積書ないし注文書を提出するけれども、同原告の年間成約高やこれによる利益について具体的な根拠に基づく立証をしないので、この点につき概括的供述にとどまる原告勝美本人尋問の結果によつては未だ同原告主張の事実を認め難い。

それゆえ、原告勝美の休業損害額も昭和五五年度男子全産業全企業規模全学歴計の平均賃金額によつて算出すべく、同原告本人尋問の結果によれば、当時同原告は四九歳であつたことが認められるから、損害額は、

四二四万九五〇〇円×三八(日)÷三六五(日)=四四万二四一三円となる。

次に、精神的損害について検討するに、原告勝美は、請求原因7(二)において、原告美也子の第二手術後は同原告の体調不良で夫婦生活も円滑を欠き、真剣に離婚を考えたほどであつたと主張するけれども、原告美也子に関してさきに判示したとおり、仮に右のような事実があつたとしても、本件伏針との因果関係を認めることができないものであるし、また、原告勝美は、原告美也子の本件第三手術に伴う入院期間中同原告と同様の苦痛を被つたと主張するけれども、民法七一一条によれば、本来、不法行為の被害者の配偶者が右不法行為を理由として自らが受けた精神的苦痛の損害賠償を求めうるのは被害者が生命を侵害された場合に限られるのであり、ただ、解釈上、被害が身体傷害の程度にとどまる場合にも、配偶者において被害者が生命を害されたのに比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合には、同条の類推適用により、その精神的損害の賠償を求めることができるのであるが、以上に認定した事実関係からすれば、原告勝美において右の程度の甚大な精神的苦痛を被つたと認めることはできない。

五以上によれば、原告らの本訴請求は、原告美也子について四三〇万五七四九円及びうち三七五万五七四九円に対する不法行為後の昭和五六年四月三日以降年五分の割合による遅延損害金、原告勝美について四四万二四一三円及びこれに対する不法行為後の前同日以降年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項を適用し、仮執行宣言を付するのは相当でないと認めるので、この点の申立てを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官稲守孝夫 裁判官川勝隆之、同黒津英明はいずれも転補のため署名押印できない。裁判長裁判官稲守孝夫)

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